どうしてもリトリートという形にこだわるわけ

私がヨガをはじめたきっかけは、小笠原の海で泳いだことがはじまりでした。

 

ものすごくハードに働いていたサラリーマン時代にからだも心もがちがちに固まり、会社を辞めてから一人旅に出て、海外に行った後に最後に行ったのが小笠原でした。

 

1週間に1便しか船が出ておらず、しかも船は順調に進んで25時間半、海況が悪いと48時間くらいかかるという果ての果ての島です。

そこで出会ったのは、大いなる海と、たくさんの魚、イルカやクジラ、アオウミガメ、サメ、そして、のどかな島の空気でした。

 

小魚は大きな魚に食べられ、その魚はさらに大きな魚を食べて、その魚を私たちがとって食べて、私はサメに食われるかもしれない・・・ 私はこの地球上の一生物にしかすぎないんだなと感じました。

大きな自然と宇宙の循環の中にいるんだと気づき、食べてさえいれば生きていけて、それ以外のことはどうでもいいつまらない悩みなんだと、すっと目がさめた感じでした。

 

透明度の高いダイナミックな海で素潜りをするようになり、素潜りの師匠からヨガの教えを受け、

早朝からヨガを2~3時間やり、ご飯を食べてから、船で沖に出たりビーチからエントリーしたり、そして夕飯のための魚を銛で獲って食べるという生活を3週間~1ヵ月と続けるのを何回か繰り返していました。

 

がちがちで呼吸がほとんど出来なかったからだも、シュノーケリングでからだを動かし必然的に深呼吸をするようになってから、脳に巡っていなかった酸素も運ばれ、すごく低かった体温は上がり、からだの余分なものは減って引き締まり、からだに活力が生まれるのを感じ、呼吸がどれだけ大事なのかと痛感しました。

働いていた頃、休日の昼寝でからだが休まらなかったのは深呼吸が出来ていなかったからなんだということがわかりました。

 

素潜りを始めてヨガを教わり、特に呼吸法や横隔膜を鍛える練習をして、さらに呼吸がどれだけ大事でどれだけ変化するのかというのを体験していきました。

だからこそ、スタジオではあまり教えてくれない「呼吸法」については、私が多くの人に伝えていけたらと思っています。

 

吸う息と吐く息の違い。息を止めることの心地よさと活力。精神的な安定。

 

ヨガでも素潜りでも、やったことでしかわからないこと、繰り返し積み重ねたことでしかわからない変化がありました。

からだだけでなく、心・精神的な変化も。

 

こまかいやり方や、効果や、まだ大してやってもいない段階で上のレベルのやり方を知りたがる人も多いようですが、

大事なのはまずやってみること。そして、自分がどう感じているかということ。

それこそがヨガに通じることでもあります。

 

素潜りはヨガの瞑想に似ています。

 

出来るだけ心と頭が制止した状態で潜ります。

考えごとをすると、脳で酸素を使ってしまい長く潜れなくなります。

フリーダイビングという素潜りの競技選手はヨガをやっている人もかなりいます。

銛で魚を獲る時には、集中が高まっている時ほど息が長く続きます。

頭で考えない、感覚で捉える。

 

素潜りでの集中力がヨガの時にも影響されていて、ヨガと素潜り、そして魚を獲って食べて「生きていく」そのサイクルを感じることで体感してきたことを伝えたいと思い、それを伝えるにはやはり同じような形で体感してもらうのが一番だと思いました。

ヨガのスタジオでヨガだけ教えても、海で素潜りやシュノーケリングだけ教えても、それは私が伝えたいことの一部であって、合わさった時の相乗効果の体感を伝えるためにも、食事に関しても意識を持ってほしいということもあったので、本当に私が伝えたいものは合わせた形でやるのが一番!と思って、自分ならではのリトリートという形にこだわりました。

 

私自身がからだも心もつらい経験をしたように、仕事や人間関係で悩んでいたり、意外とちょっとしたことでつまずいている人がいるなら、何かのきっけけになれればいいなと思って始めました。

 

リトリート(合宿)という時間の中では、スタジオでは時間的に話せていないヨガの話や自分の体験、そして合宿に参加して出会った方たちでお互いいろいろな話をする中で自分というものを認識出来たり、自分の気持ちに気づいたり、何かの気づきの機会になったらいいなと思います。

 

ヨガとシュノーケリングとごはん、そしていろいろなお話をすることで、

「生き生きと」「たくましく生きていける」そんな自立した女性が増えることを願って、私だから伝えられるリトリートを行っていきます。

 

 

このリトリートの生徒さんのために選んだのが宮古島!

わたしが初めて訪れた時に感じた、心が解放される青い海、宮古島の上がるエネルギーを感じに来てください!!